ご仏事に関するFAQ

仏事は誰のためにするのですか?


故人さまを「仏さまと成られた」と受けとめる限り、ご遺族やご親戚の側に故人さまに代わって功徳を積む必要がありません。確かにご仏事は故人さまを偲ぶ大切な機会ですが、故人さまのためにするものではないようです。

仏さまは「あなたのいのちは尊いいのち。身の丈いっぱいを輝かせて生きてほしい」と寄り添い・はたらき・呼び覚まし続けておられます。私たちが「自分の人生、いい人生だった。この度のいのち、生きてきてよかった。」と思えるためには、どうすればいいのか・何が必要なのかを考えることが、仏さまの願いに応えることになります。

ご仏縁は自分のいのちを見つめる、自分のために用意された機会・ご縁と受けとめてみてはいかがでしょうか。

中陰とは何ですか?


中陰(ちゅういん)は、四十九日まで七日ごとに勤められる法要を指します。
初七日は、故人さまが往生された当日を含めて七日後ですので、実際の感覚では御命日から六日目になります。

  • 初七日(しょなのか)
  • 二七日(ふたなのか)
  • 三七日(みなのか)
  • 四七日(よなのか)
  • 五七日(いつなのか)
  • 六七日(むなのか)
  • 四十九日(しじゅうくにち)=満中陰(まんちゅういん)

四十九日は三ヶ月にまたがってはいけないと聞きますが、本当でしょうか?


三ヶ月にまたがっても、何の「悪いこと」もありませんし、起こりません。

諸説ありますが、四十九日が三ヶ月にまたがってはいけないという迷信は「始終苦が身につく(しじゅう、くが、みにつく)」という語呂合わせに由来するといわれています。普段は単なる語呂合わせに惑わされることがなくても、大切な方を亡くされたというときには、普段気にならないことにまで悩まされることもあるでしょう。

また、「私は気にしないのですが、、、」と前置きされながら、ご親戚から「三ヶ月にまたがってはいけない」とアドバイスをされるとその通りにしなくてはいけないと考えるかたもおられるようです。

仏教はもともと、自己を束縛する自己の心から解き放たれることを目的とします。迷信に縛られたご法事ではなく、仏教の教えに基づいたご法事をお勤めいただけると有り難いと考えています。

ご法事はご命日より前にしないといけないと聞きますが、後ではだめなのでしょうか?


ご命日より後でも問題ありません。また、ご命日より前でも、問題ありません。

ご法事は先に往生された方が「仏法に出遇っておくれよ」とご用意くださったご仏縁です。ご法事がご命日の後でも前でも、ご往生され仏と成られたかたに何の影響もなく、私たちにも何の影響もありません。

また、ご仏縁の主役は仏法に出遇っていく私たちです。私たちがご仏縁に遇いやすい日程を設定されるといいと考えます。そして、ご仏縁に大安や仏滅などの日取りは関係ありませんので、ご安心ください。

お布施について、どのように考えたらよいでしょうか?


お布施については、「できる方が、できる時に、できる分だけ」と考えています。

お布施の多少によってご仏事の内容が左右されることはあり得ませんし、仏さまのお慈悲は私たちの行いとは関係なく私たちの身にはたらいていてくださいます。

お布施についてもっと知る

お寺を維持したり仏教の教えを護り伝えるには費用がかかります。そのためにはお布施が必要です。しかし、どれほどにお布施をしたからといって功徳やご利益が増えることはありませんし、願いごとがかなうわけでもありません。逆に、お布施が少ないからといって私たちが受け取るご利益が少なくなるようであれば、それはもう仏さまの慈悲とは別物だといえます。

親鸞聖人ご在世の時代では、多くお布施をすれば多くの功徳があり、ご利益も大きいと考えられていました。そして今も金額によって値打ちが変わると一般的には考えられています。ご仏事にも同じ市場原理がはたらいていると思っておられる方は多いようです。ご葬儀やご法事のときに、お布施の「相場」をたずねられることも珍しくはありません。仏事をサービスと見なして、読経の内容や時間の長短に応じてお布施の多少が変わるのであれば、それもうすでにお布施ではありません。お布施は何かの対価ではありません。

お布施とはもともと、「布施行(ほうせ)」として大乗仏教で大切にされている行いに由来します。布施行によって自己の束縛を離れていこうとする行いです。そもそも仏教の目的は、自己を束縛する自己の心から解き放たれることでした。

親鸞聖人が、「真実の教え」とされたのは、年齢・職業・性別・健康状態などで相手を選ばない、そういった私たちの属性は仏さまの救いの条件にはならないという教えでした。当然、お布施の多寡は救いの条件にはなりません。また、親鸞聖人は、自分の願いをかなえる教え、気持ちを満たすだけの教えは仏教ではないと教えてくださいます。仏教の自己を束縛する自己の心から解き放たれることを受け継いでいるのです。

「真実の教え」とは、救いに条件をつけない教えです。「真実の教え」とは、私たちの日常の生活の原理を相対化する教えです。お布施にについて考えるとき、ぜひ親鸞聖人や仏教が大切にしてきたことと自己の束縛を見つめることを、ご一緒にできればと考えています。

お布施はできる方が、できる時に、できる分だけ」なさってください。そしてお布施は、お金に限った概念ではありません。お金をお布施する「財施(ざいせ)」もありますが、仏さまのみ教えを聞く「法施」という形があります。財施よりも法施、ぜひご一緒にお聴聞いたしましょう。