よくあるご質問

Fat Questions…….

仏教やご仏事に関することは、
ハッキリしないことや、
分からないことが多い。

ご仏事に関すること

ご法事やご葬儀のときには、持ち物として何が必要ですか?

ご法事やご葬儀に列席されるときに基本的に必要なものは以下のとおりです。

お念珠とお経本

お数珠(じゅず)といったほうが馴染みが深い方もおられるかもしれませんが、浄土真宗ではお念珠(ねんじゅ)と言い習わしています。合掌しないときには、左手に持ちます。
お経本(きょうぼん)は、お釈迦さまが説かれた教説や親鸞聖人の著作からのお言葉が掲載されており、お勤め(読経)のときに用いられます。多くの場合、お寺には貸出用のお経本が用意されていますので、気軽にご利用ください。またご葬儀ではご葬儀用のお経本が配布されることもあります。使用後は返却されるか、そのままお持ち帰りいただき大切に扱っていただきたいと思います。

式章

結婚式や式典の場には、その場に相応しい装いとして「ドレスコード」が設定されていることがあります。時と場所に応じて服装を調整することは、色々な場面で見かける光景です。お寺やご家庭のご仏事においても、時と場にふさわしい服装が一応定められており、「式章(しきしょう)」を着用することが勧められています。
式章は、本願寺第23代勝如上人の伝灯奉告法要をご縁に、昭和7年に制定されました。式章は「一領、二領」と数えられますが、それは正式な場での服装であった裃(かみしも)と同じ数えかたです。ご仏縁に遇うときに、先人たちは衣服を整えて「自分の“いのち”の大事なことを聞かせてもらう」と挑んでおられた心構えに、学ぶことが多いように思われます。

ご法事はご命日より前にしないといけないと聞きますが、後ではだめなのでしょうか?

ご命日より後でも問題ありません。また、ご命日より前でも、問題ありません。
ご法事は先に往生された方が「仏法に出遇っておくれよ」とご用意くださったご仏縁です。ご法事がご命日の後でも前でも、ご往生され仏と成られたかたに何の影響もなく、私たちにも何の影響もありません。また、ご仏縁の主役は仏法に出遇っていく私たちです。私たちがご仏縁に遇いやすい日程を設定されるといいと考えます。そして、ご仏縁に大安や仏滅などの日取りは関係ありませんので、ご安心ください。

四十九日は三ヶ月にまたがってはいけないと聞きますが、本当でしょうか?

三ヶ月にまたがっても、何の「悪いこと」もありませんし、起こりません。
諸説ありますが、四十九日が三ヶ月にまたがってはいけないという迷信は「始終苦が身につく(しじゅう、くが、みにつく)」という語呂合わせに由来するといわれています。普段は単なる語呂合わせに惑わされることがなくても、大切な方を亡くされたというときには、普段気にならないことにまで悩まされることもあるでしょう。また、「私は気にしないのですが、、、」と前置きされながら、ご親戚から「三ヶ月にまたがってはいけない」とアドバイスをされるとその通りにしなくてはいけないと考えるかたもおられるようです。
仏教はもともと、自己を束縛する自己の心から解き放たれることを目的とします。迷信に縛られたご法事ではなく、仏教の教えに基づいたご法事をお勤めいただけると有り難いと考えています。

お布施について、どのように考えたらよいでしょうか?

お布施については、「できる方が、できる時に、できる分だけ」と考えています。お布施の多少によってご仏事の内容が左右されることはあり得ませんし、仏さまのお慈悲は私たちの行いとは関係なく私たちの身にはたらいていてくださいます。

合掌・礼拝の作法を教えてください。

合掌・礼拝の作法ですが、まずお念珠は合掌した両手にかけます。親指と他の指にはさんで、親指でかるくお念珠を押さえます。指の間は開かないように。房は真下に垂れるようにしてかけます。
次に、合掌の姿勢です。両手を合わせた状態で、かるく胸の前につけて約45度に保ちます。肩や肘を張らずに自然に背筋を伸ばします。そして御本尊(阿弥陀如来さま)を仰ぎ「南無阿弥陀仏」とお念仏申しましょう。
それから、礼拝に移ります。上体を合掌したままの姿勢で約45度前方に傾けます。それからゆっくりと上体を起こして合掌をときます。
身体などの状態によって、合掌・礼拝ができないときは、ご無理なさらず心を込めて「南無阿弥陀仏」とお念仏したり心に思い浮かべることで事足ります。一番大事なことは、外側でなく内側にあるように思います。

お焼香の作法を教えてください。

仏教に関すること

仏教の教えを簡単におしえてください。

仏教は時間的には2500年を超える歴史があり、空間的には世界に広く伝わっている教えです。したがって、簡単に説明しようとすればするほど、大切なことから遠ざかってしまうこともあります。
ここでは、仏教という宗教を理解するときに、ほんの入り口となるようなことを記載したいと思います。

仏教は今から2500年前、インドで活躍されたお釈迦さまが開かれた宗教です。仏教がどんな宗教かを知るときに、①成仏教、②仏説教、③説仏教と3点に分けて考えると理解が進みます。

いのちが終わると、どうなるのですか?

浄土真宗の仏さまは、阿弥陀如来さまです。阿弥陀如来さまは、「すべての生きとし生けるものを、かならず救う」という仏さまです。その救いには一切の条件がありません。年齢・職業・健康状態etc…どんな属性も問われず、わたしたちは阿弥陀さまに救われていく、と浄土真宗では考えます。さらに、みな今生のいのちが終わると、阿弥陀如来さまに救いとられ、阿弥陀如来さまの世界「お浄土」に生まれて仏さまと成ると考えるのが、浄土真宗の教えです。
したがって、私たちは先に亡くなられた方々を、仏さまに成られたと受けとめていきます。

仏さまに成るとは、どういうことですか?

仏さまとは、迷いや苦しみから解きはなたれた存在です。ですから、どこか暗いところで苦しんでいたり、どこか行く宛もなく迷っていたり、生者に悪いことをしようとしていたり、といった存在ではありません。仏さまは「優しさのかたまり」のような存在で、いつでも・どこでも私たちを支えてくださいます。
そのような仏さまですから、私たちの側には何かを心配したり、故人さまの代わりに功徳を積んだりする必要がありません。同時に、祟りや迷信に惑わされる必要はないのです。

仏事は誰のためにするものなのでしょうか?

故人さまを「仏さまと成られた」と受けとめる限り、ご遺族やご親戚の側に故人さまに代わって功徳を積む必要がありません。確かにご仏事は故人さまを偲ぶ大切な機会ですが、故人さまのためにするものではないようです。
仏さまは「あなたのいのちは尊いいのち。身の丈いっぱいを輝かせて生きてほしい」と寄り添い・はたらき・呼び覚まし続けておられます。私たちが「自分の人生、いい人生だった。この度のいのち、生きてきてよかった。」と思えるためには、どうすればいいのか・何が必要なのかを考えることが、仏さまの願いに応えることになります。ご仏縁は自分のいのちを見つめる、自分のために用意された機会・ご縁と受けとめてみてはいかがでしょうか。