2023年1月の言葉

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落ちても 堕ちても 仏の掌の上

仏さまの価値観と人間の価値観

仏さまは「どのようなあなたも、必ずすくう」というお方です。年齢とか職業とか性別とか健康状態とかに関係なく、どのような私であっても必ずすくいとってくださいます。

私たち人間は、その逆です。若い方が良い、健康な方が良い、優秀な方が良い、などと何かにつけて良し悪しをつけています。それは、他者に対してばかりでなく、自分に対してもそうです。調子のいい時や元気な時は、何も感じないかもしれませんが、調子を崩してしまって元気でいられなくなったり、うまくいかなくて周りの目が気になったりした時、「自分はつまらないな」と感じてしまう。自分自身に良し悪しをつけてしまうことで、私たちは苦しんでいることが多くあります。

自他に良し悪しをつける人間の価値観の世界では、認めてもらえる時とそうでない時、受け止めてもらえる時とそうでない時があります。他者から「イエス」と認めてもらえていると居場所があるように感じられます。しかし些細な事をキッカケに一旦「ノー」と認められなくなったり、自分で自分が「もうダメだ」と思えてしまうと、もう同じ居場所に戻れない・戻れるような気がしない。そんなことを経験されたことはありませんか?

人間の価値観の世界は、まるで綱渡りのようです。落ちないように、堕ちないように、と頑張らないといけない。居場所を失わないように、時には自分を偽らないといけない。それは、安心とは程遠いもので、本当の居場所とは言えないように思えます。

人間とは逆の仏さまの価値観の世界は、大きく違います。仏さまは「どのようなあなたも、尊いいのちを生きているよ」と常に私たちを認めて受け止めてくださる。たとえ自分が綱渡りから落ちてしまったような気がしても、「大丈夫だよ」と受け止めてくださる。どんな私でも安心して存在していられる、居場所が約束されたような世界です。

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